「京都デザイン」とは

日本文化のルーツ

京都は日本の古都とといわれ、毎年多くの観光客が訪れます。そのほとんどの目的は古い日本をここに見いだすことができる——つまり、日本人のルーツを求めてというものではないかと思われます。確かにいわゆる日本文化といわれるものの多くはここ京都をルーツとするものが決して少なくありません。794年に桓武天皇がこの地に都を築いてから、政治の舞台はあるときは、鎌倉であったり、江戸であったりはしたものの、文化の中心地はずっとここ京都でした。そしてその1000年を超える年月の間に今でいうところの日本文化がこの地で熟成されていったのです。
しかし反面、京都がただそういった古い伝統だけの都市であるかというと、決してそうではありません。日本で最初に市電が通ったのはこの京都の街ですし、日本最初の女学校開設や博覧会が開催されたのも、また水力発電が始まったのもこの京都の街です。元来、京都は西陣織などに名残が見られるように、庶民の生活物資の一大生産地——今でいう、一大工業都市でもあったのです。そしてその伝統は、現在の京セラや任天堂、オムロン、島津製作所、ワコールなどが京都に本社をおいていることを見ても、連綿と続いているのです。

古都という近代都市、京都

確かに京都は先の太平洋戦争の時に、日本の大都市としては例外的に空襲を受けなかったせいで、古くからの建物が他の都市に比べて数多く残っています。このことが古都といわれる一つの原因でしょうが、歴史をひもとくと、京都は常に破壊と再生を繰り返してきました。中世の応仁の乱ではその市街地の大半が焼き尽くされていますし、応仁の乱ほどではないにしろ、元々が政治の中心ですから政権・権力の変遷の折には、少なからず戦場と化しています。しかしそのたびに、京都はたくましく再生し、文化を継承してきました。このような都市は、おそらく世界史的にみても希少な存在ではないかと思います。つまり京都は「古都」という「近代都市」なのです。

現代のデザインの中に潜む伝統

以上のような視点で京都という都市をあらためて見返してみると、私たちはそこに継続する伝統と再生へ向かう先進性をそこかしこに発見することができます。けっして骨董ではない、今でも生活の中で少しずつ変化をとげながら息づいている多くのもの——私たちはそれをいわゆる「京都デザイン」と名付けます。温故知新という言葉がありますが、私たちのいう「京都デザイン」はまさしく現代のデザインの中にひっそりと潜む「伝統」をしっかりと受け継いでいくものですし、私たちのデザインはそうありたいと考えています。